いつもいっしょに


 発端はタイガーの一言だった。
「サクラ、お風呂は一人で入る」
 けれど、サクラは、一瞬その目を瞬かせただけで。
「何言ってんだよ、タイガー。このオレが一緒に入ってあげるって言ってんだから、ありがたくついておいでよ」
 すっぱり言い切ると、力尽くで風呂場へ引きずっていった。



 ばさばさと勢い良く服を脱ぎ捨てるサクラは、ちゃんと畳まないと、と眉を寄せて服を掻き集めるタイガーの首根っこを掴むと「爪痕つくじゃん、そんなのほっときゃいいんだよ」と言って浴室へと放り込んだ。硬いタイルに投げ出され、ぎゃうん、と呻く毛皮を追いかけて足を踏み入れると、まだくうんくうんと訴え続ける弱り顔に勢い良くお湯をぶっかける。
「ほら洗ってやるから暴れんなよ」
 器用に咽返ってみせる獣に一声かけて、サクラは手に取ったたっぷりのボディソープを泡立て始める。獣らしく、タイガーはお湯や石鹸でからだを洗うのを嫌がる。だからと言って「はいそうですか」と譲歩してやるわけもなく、一応のお断りを入れて、問答無用で洗い出すのが常だった。
 十分に泡立ったところで、撫でるように万遍なく毛皮を洗う。それはこしこしと耳の裏から足の肉球まで、タイガーが慣れて自分から洗い出すまで続けられる。それを合図にサクラは自分のからだを洗い始める。あらかた落ちればお終いだ。泡ごと汚れを流して、さっぱりしたからだで湯船に浸かる。もちろんタイガーと一緒にだ。
 けれどその日は勝手が違った。
「・・・タイガー?」
 洗い場に座り込んだまま、湯船に浸かろうとしないタイガーを、訝しげな表情をつくったサクラが呼びかける。その声音に溜息を吐いたタイガーは、仕方ないと湯船に足をかけると、おもむろに人型に―――そう、完成された強靭なからだを持つ大人の男に―――戻って、湯に浸かりだしたのだった。
 突然の行動に息を呑むサクラを横目に、殊更ゆっくりと半身を沈めてゆくタイガーは、視線だけはしっかりとサクラに合わせて逸らすことを許さなかった。鍛え抜かれたからだを惜しげもなく晒し、身を沈めてゆく男の在りように、サクラは縛り付けられた瞳をただ大きく見開いてゆくだけだった。表に表れない驚きとは対照的に、その心中はさざめき波立っていった。
 どうして、わななく唇が形づくる。
 どうして。
 もふもふでふかふかでうにうにでぬくぬくでぬいぐるみみたいにかわいくてかわいくてかわいらしいから抱っこしてあげたくなっちゃうようなもこもこタイガーが、どうして、どうして、
「どーして人型で入んのさ!」
 サクラは気恥ずかしさで一気に熟れ上がったはだを抱えるようにして後ろへと身を引き離した。水音も派手にばしゃりと風呂に沈み込めば、跳ねたお湯の濁りように、良かったとまるで女の子のような安心までしてしまって、余計な腹立たしさに唇を噛んだ。
 てゆうか、タイガーなんていつも裸に近いってのに、どうしてこんなに恥ずかしいのさ?!
 あからさまに動揺しているサクラとは対照的に、至って冷静なタイガーは、合わせた瞳も逸らさずに、誠実な物言いで、サクラ、と呼んだ。サクラ、と呼んで、睨み付けるようにタイガーを見るサクラに指を伸ばす。それにびくりとからだを震わせたサクラに、内心を窺わせない大人の表情でサクラ、ともう一度その名を呼んだ。諭す声音に近いそれに、唇を引き締めたサクラへとタイガーは言った。
「サクラ、一緒にお風呂に入るとは、こういうことだ。わかったら、ちゃんと一人で入る」
 タイガーを見詰めたまま言葉もないサクラに、息をついて伸ばした手のひらを下ろしたタイガーが、話はそれだけだと視線を伏せて、風呂から上がろうとからだを起こした。それと同時に立つ水音に、硬直を解いたサクラが呑んだ息の勢いで腕を伸ばす。
 ざっばん。
 力任せに引き戻された大きなからだが立てるお湯柱を頭からかぶったサクラは、そんなことはどうでもいいとばかりに、濡れた髪をからだ中に張り付かせてタイガーを湯船に沈め続ける。サクラ、溺れる、とあからさまに泡を吹きながら訴える声も耳に入らないようで、このままだと本気で溺れ死ぬだろうタイガーが、それでも乱暴を働かないことに、ようやくサクラはその腕を緩められたのだった。
「サクラ、」
 飲んだお湯に咽返りながら、窘めるように低くその名を呼ぶタイガーに、サクラはもう染まる余地はないだろうほど真っ赤になって、これ以上聞かせるな! とばかりにわかった、と叫んだ。
「わかった! わかったから、そのまま出ないでよ! 出るなら獣になってって!」



 そうして脱衣所を出たタイガーを待ち受けていたのはニヤニヤ笑いの英雄たちだった。
「・・・ちゃんと言ったぞ」
 表情を崩さず報告だけを告げるタイガーに、あー、聞こえた聞こえた、と笑いを隠さない顔触れが手を振って返す。そうしながらアイツも可愛いトコがあるじゃないの、とのたまうこの大人たちは、半分くらい確実に楽しんでいる。けれどもう半分で、保護者のような心配が滲んでいるのがわかるから、タイガーも咎めることは言わない。
 けれど眉間に寄る皺だけはどうしようもないのか、そんなタイガーの様子に、苦く笑ったリュウがまあなあ、と慰めるように続ける。
「おまえさんの気持ちもわかるけどよ、もういい加減サクラも、子どもじゃないってことを覚えて貰わなきゃなんねえからな」
 くだけた口調は軽さを残しているというのに、その表情はしっかり大人のもので、タイガーは口を噤むしかない。
 それでもやはり可哀想なことをしたと思うのか、くるんと獣に戻って丸まるタイガーに、集まった面々が心配ねえよと柔らかな声で頭を撫でる。
「おまえに子どもとしか見てもらえないことが、本当はいちばん、嫌なんだから」


20051212 / 戻る