家もお金もないけれど


「うん、とーっても」
 ぜいぜいと息を吐くタイガーを尻目にサクラは実にご機嫌に笑ってみせる。その小悪魔じみた笑みがいっそ天使のような無邪気さで映る。己の美貌を知り尽くし、けれどそれの持つ意味を理解していない。タイガーは息を吐いてサクラを見る。白く輝くウエディングドレスを纏い、サクラは本当に美しい。
 悪ふざけの結果だった。サクラは欲に目が眩み、シンタローとリュウはいじめに全神経をかけた。そこに鳥王までもが絡み、後戻りのきかぬ結婚式へと場は進んだ。サクラは煌びやかに飾り立てられ、薄く紅を塗った唇でタイガーにどうしようと聞いたのだ。聞かれてもタイガーには答えようがなかった。それで知らないと放り出したのだ。
 きっとサクラは二度とタイガーに笑いかけることはない。それでいい。サクラは本当に花で、タイガーにとっては高嶺もいいところだった。タイガーは獣人界に戻れば蔑みの対象で、疎外された故郷にタイガーの居場所はない。あんなにきれいな花嫁さんをさらっても、連れて帰ってあげられる家すらないのだ。
 なのにサクラはよりによってタイガーをだんなさんだと言った。いくら腹を立てたからといって、あの衆人環視の中であんなことを言ったりして、サクラは大丈夫なんだろうか。
 ばさばさと思い切り良くウエディングドレスを脱ぎ捨てるサクラに拘りは見えない。鳥人界一裕福な貴族の、贅を尽くした婚礼衣装をぐしゃぐしゃに放り投げてさっさと浴室に向かう。残されるのはサクラが着ていないだけで輝きを失うウエディングドレス。タイガーは苦く笑うとくすんでさえ見える布の塊を爪先で引っ掛ける。皺が付かないように籠に畳むとそれを後ろから無造作に引っ手繰る腕が伸びてくる。
「なにしてんだよ」
 ばさりと投げ捨てられるドレスから覗くサクラの目が冷たい。それにタイガーは皺になるからと訴えて鳴く。サクラが服を脱ぎ散らかすのはいつものことだが、さすがにこれは濡れもする足場に無造作に投げ捨てておけるものではない。けれどサクラはそれにむっと顔を歪めてぐしゃりとなったドレスを掴むとぐっちゃぐちゃに丸めて脱衣所の隅にある小さなごみ箱に無理やり詰め込んで捨てる。収まりきるはずもないドレスはあっという間に膨れ上がって床を白く染める。
「ガウ、」
「なんで他の男の為に着たウエディングドレスを後生大事に取っとかなきゃなんないんだよ!」
嗜める響きにサクラが怒鳴る。弾みで降るのは水晶玉のような涙だ。
「タイガーの馬鹿!」
 怒鳴ったサクラはそのまま浴室に飛び込むと叩きつけるように仕切りを閉じる。跳ねて隙間を作る仕切りからはサクラの怒りを表すかのように湯気がもうもうと立ちあがる。それはやがて晒される冷気に雫へと変わる。タイガーはしっとりと濡れだした毛皮に耳を垂らす。
 馬鹿。投げつけられた言葉が捨てられたドレスのようにタイガーの中にも広がる。幸福をかたちにしたらこうなるのだろうきれいな花嫁さん。そんな花嫁さんを泣かせることができて、馬鹿なんて罵らせることができる恵まれた男は世界に一人しかいない。
 さらってしまってもいいのだろうか。
 きれいな花嫁さんを。思ってタイガーは我が身を振り返った。けだもののからだと、おそろしいこころ。幸福のかたちがあるなら、不幸のかたちはこうだろう。けれどそうとわかるほどにもう、幸福のかたちを知っている。教えてくれたのは人の子だ。与えてくれたのは幸福そのものだ。
 タイガーは人の形になると真っ直ぐ背筋を伸ばして仕切りに手をかけた。
 家もお金もない。指輪もケーキもない。婚礼衣装どころか、服だってろくに着たことがない。それでもお婿さんになりたいのだと、七世界一きれいなお嫁さんに申し込むために。


20060818 / 戻る