小ネタ


@鍵
 それをくれと男は言った。言った男は高松の手元を指差していた。開けたばかりの扉、その鍵穴に差し込まれたままの鍵を。
 高松は抜いた鍵をそのまま男の手に落とした。
「サンキュ」
 笑った男は手を振った。
 何でもいいと言ったのに。
 その日、高松は疲れていて、疲れていたから、――だからそんなことを言ったのだ。どうでもいいと思っていた。それで何でもいいと言ったのだ。何でも、それこそ今なら、高松は何でもやった。それなのにあの男はよりにもよって鍵が欲しいと言ったのだ。こんな電話一本で取替えのきくものを。
 何でもいいと言った高松に、男は目を見開いた。そうして高松を見て、けれど次の瞬間にはなんとも形容し難い顔をした。後ろ手に髪を掻き、少し笑ったようだった。何もかも諦めたような笑みだった。じゃあそれくれよ。言った男は、何を思っていたのだろう。
 本当に欲しいのはものなどではないくせに。

A眼鏡
「・・・オマエ目ェ悪かったっけ?」
「少し乱視が入ってるんですよ」
 答える視線は画面から離れない。
「無意識に焦点を合わせているから、長時間液晶画面と向き合っていると、おかしくなってくるんです。だから、眼鏡」
 そうかよ、呟きは納得ではなく惰性だ。ハーレムの注意はすでに別に移っている。
 眼鏡、眼鏡ねえ。
 よくよく考えれば始めて目にする姿だ。
 じろじろと不躾な視線にも熱中している高松は反応しない。おかげでハーレムは心行くまでその姿を拝むことができた。
 なるほど、これは、これで。
 一段落ついたのであろう高松が、ふうと息を吐くのを見計らって、後ろから顎に手を伸ばす。それで微妙な角度をつけて口付けると、高松は少し驚いたように目を開いた。
「なんだそのびっくり顔」
 キスくらい今更だろうと唇をなぞると、ああ、いえ、とそこから高松が息を吐いた。
「いえ、・・・ただあんたの交際相手に眼鏡がいたとは思ってもみなかったもので・・・」
 意外そうな声色に、思ってもみない指摘を受けたハーレムの顔も固まった。
 眼鏡は、ぶつかる。
 経験者でも意外と忘れている事実である。まして突然しようと思ってできるものではない。下手に顔を寄せようものなら眼鏡に当たって痛い思いをする。つまりコツがいるのだ。それをハーレムはあっさりやってのけた。癖になるほど、慣れているということだ。
 そして高松も。成功したキスに、疑問を抱くほど、痛い目を見ているということになる。
「・・・」
 ハーレムも高松も、そんなことを言い出したらキリがないほど、大人である。実際そうだろうとわかったうえで付き合っている。それでもなんだか微妙な気分になる。なるほど、体験に勝る理解はない。
 眼鏡とは時に目に映らないものまで見せてくれるものだと二人は思った。

B過感症
 カタカタと軽快な音を立てて指が走る。気が乗っているのだろう、澱みない指捌きは、まるでピアノを弾くように滑らかだ。その指を見るといつも奥底がおかしくなる。筋張って長い指はこの上なく男臭いのに、妙な色気があって腰を疼かせるのだ。
 滅多に事務仕事をしない男は、稀に思い出したかのように机に向かう。溜め込んだ書類全てを持ち込んで、僅かに発光する画面に照らされながら、ざっと目を通しただけで、後は脇目もふらず処理していく。止まるのは一度、噛み煙草が唇に触れそうになるときだ。長く灰を燻らせたそれを、唇を掠めるように取って灰皿へと押し潰す、そのたった一度をいつでも見ている私がいる。
 あの指を舐りたいと願う私がいる。
 あの指を取って、あの指を滑って、あの指を感じて、――そんなありきたりの表現じゃ飽き足らないほど卑猥な言葉で埋め尽くして、いかがわしさに耽りたい。淫らな気分で狂いそうだ。今なら輪姦されても構わない。あの指さえあればどんな淫行にも浸れるのに。
 あの指じゃなければ意味がない。


20070202- /