幸せ家族計画


 上の兄が子どもを寄こした。特異体質の子だという。会えば確かに炎を生んだ。それで寄こした理由が知れた。子どもが発した赤い炎、それを容易く消した部下がいるからだ。ペットを愛でる瞳で笑い、使えるようにしておきなさいと兄は命じた。怯える子どもを兵器にしろというのだ。
 おれが従うと思っているのかと口端を歪めると、にっこり邪気のない笑みを浮かべて思っているよと兄は答えた。虫唾が走るほど嫌な笑みだ。下の兄に似ている。父が死んだ、その時この兄は魂を取り込んだように父そのものになった。下の兄が死んだ時も。弟の瞳が無くなった時も。まるで失ったものを補おうとするかのように。
 いいぜと答えて紫煙を吐く。
「このところ遠征続きで溜まってたからな。あれだけ殺りまくると商売女も買えやしねえ。素人娘は尚更だ。丁度いい捌け口だよ」
 使えるようにすりゃあ、文句はねえんだろう?
 深く煙を吸い直して酩酊を楽しむ。笑えば背後で気配が揺れる。だろうなあと声を漏らして更に笑う。
 得たばかりの三人の部下。それこそ子どもの頃から兵器として生きてきた奴らだ。老若男女の別もなく、腹にいる赤子ですら殺してきた。今さら子どもひとり兵器に変えろと言われたところで揺らいだりはしない。揺らいでいるのはハーレムの言葉のせいだ。
 汚れ稼業に身を置きながら、妙なところでお綺麗な奴らは、犯す嬲るは性に合わぬと、そちらに傾きがちな戦場で、仲間を殺してハーレムの手元に落ちてきた。冷たく一瞥するだけの男も、黙って見ているだけの男も、処分されるところをハーレムが拾った。何を思って就いたものか、未だハーレムの下にいる。浅い付き合いではあるがそれなりに気に入っている。
 まあそれも今日までだ。ハーレムは思う。明日には消えていることだろう。いや、むしろこちらを消しにくるか?
 それはそれでいいと子どもを腰から持ち上げた。威圧ひとつで発火を抑え、総帥室を後にする。最短ルートで艦に戻り、仕事を終えたばかりの整備員たちに出艦すると告げた。途端に慌しくなる周囲を抜けて、搭乗口に足を掛けると、三人の部下が戻るのが見えた。無表情で足を止めたハーレムは、教育係となった部下に子どもを投げ渡すと、夜に寄こせと命じて自室へと戻った。
 贅を凝らした室内は、まるでホテルのスイートだ。ハーレムは酒を掴むとソファに倒れこんだ。この艦を与えられてから、ずっとここで酒を呑んでいる。ベッドで休むのは苦手だ。強い酒に身を任せ、落ちるように眠るほうが楽だった。
 目を閉じれば夜が来る。
 夜は嫌いじゃなかった。



 ノックの音で目が覚めた。室内は暗く、外は既に闇に覆われていた。ハーレムは動きもせずに、開いてるぜと焼けた咽喉から掠れた声を絞り出した。それに開いた扉から無表情な部下が子どもを連れて入ってきた。怯えた瞳ばかりが目立つ子ども。
 その子どもが差し出される一瞬に、廊下の明かりが色ごと全身を浮かび上がらせた。
 この衝撃をどう表せばいいだろう。
 ハーレムは脳を侵すアルコールが一気に抜けるのを感じた。腐り切った瞳が開き、虹彩が消えるまで広がった瞳孔が光量を違えて白飛びした。霞む視界に映る子ども、子どもは、
――色柄も鮮やかな、真っ赤な着物を着ていた。
「こ、の、・・・服」
「総帥からお預かりしました。子どもの服だそうです」
 動揺するハーレムに、顔色も変えず答えた部下は、礼をとると怯えて縋る瞳を向ける子どもの背を押して扉を閉じた。子どもは瞳の色を失ってそれを見送った。そして絶望に近い表情でハーレムを振り返った。急に闇に包まれた視界ではハーレムの姿など影ほどにも見えない。哀れ子どもは泣き出した。それにようやくハーレムは動くことができた。
 これは、違う。あれは、こんなふうに泣いたりしない。
 震える指で子どもの顎を取る。俯きっぱなしの顔を上向ければ、泣き濡れた顔はぐしゃぐしゃと汚れていまいち良くわからない。わかるのは子どもの濡れた瞳が黒いこと、上気した頬の赤さが痛々しいほど肌が白いこと、噛み締めた唇が熟れた果実のように赤いこと、それだけだった。
 はは、と声が漏れた。はは。はははは。はははははははは。いつしか声は高く部屋を埋め尽くし、広大な、けれど他に三人しかいない艦内に響き渡った。空に地に轟くほど。ハーレムは声を上げ続けた。
 はは。
 笑えやがる。



 走る子どもに合わせて髪が跳ねる。
「あんまり遠くにいくなよォ」
 遠く景色に紛れそうな子どもに呼びかけると、コクリと小さく頷くのが見える。広がる稜線はハーレムにとって自然だが、日本の子どもには珍しいのだろう。熟れたリンゴを思わせる頬が、無表情を裏切って興奮を教えてくる。翻る赤はあの日と同じ赤だ。
 結局、ハーレムは、部下を失わずに済んだ。
 笑い続けるハーレムに、子どもはきょとんと涙を止めた。先の怯えも何処へやら、首を傾げて落ちてゆく金色を追い、最後には重力に負けて床に頭が落ちていた。笑みをおさめたハーレムを、怖がりもせずに見つめてくる。もっさり多い金の髪。それを掻き分ける子どもの目は、よくよく見れば赤みがかかっていた。肌は白いというより病的な青さで、こいつ日に当たったことねえのかなと思った。唇の赤さは噛み締めた赤で、肌は白いというより青いほどで、病的な不健康さを感じさせた。
 見た目のままに幼い子ども。あいつと違う子ども。けれど同じ子ども。
 不幸にしてやることは、簡単だ。
 ・・・幸せに、してやろうか。
 可愛がって、大事にして、家族になろうか。
 この壁を壊すつもり気でいる奴も、黙って迎える準備をしている奴も、何も聞かずにこの着物を着せてやった奴も。みんなひっくるめて、家族になろうか。
 ハーレムは子どもを抱き上げベッドに向かった。シーツに落とし上掛けを被せてやると酒臭い唇を米神に寄せて眠りを促した。不思議そうな子どもは、それでも優しい瞳と柔らかな感触に包まれて瞳を閉じた。それを見守るハーレムの瞼もいつの間にか落ちていた。夜に、ベッドで眠るのは、数年ぶりのことだった。
 何を見つけたのか、しゃがみ込む子どもの白く細い首が見える。折れそうな首だといつかも思った。いつか。それは過去だ。未来はおれのものだが、過去はおれのものではない。
 子どもは起き上がると真っ直ぐに駆けてきた。その手には千切られた緑が握られている。四葉のクローバーだ。ハーレムはくくっと笑う。
 この花を手折るのはおれではない。
 ハーレムは差し出された幸福の象徴を受け取り、柔らかく子どもの髪を撫でた。


20070610 / 戻る