高松御題/漆黒


 かつて父のものだったという研究室の中で、転がる漆黒の珠を見つけた。
 常夏のあの島で、半身のからだから独立し、家族を得たおれは、親族や兄弟に連れられるまま、父の生まれ育ったこのガンマ団へとやってきた。そうして、失われていた時間を埋めるべく、与えられたもの全てを受け入れ、奪われていた人生を取り戻すべく、あらゆる努力を惜しまなかった。
 そんな中で、おれに渡されたのが、この父のものだった研究室の権利だ。父が過去死んだ時に、誰が立ち入ることもないまま閉鎖されたのだという。確かにそこは、人の手を必要としないほどきれいに整理されていた。気質もあったのだろう。だが、同時に、ある種の覚悟があったのだろうとおれは思った。総帥であった伯父もそれを感じていたに違いない。だからこそ、父の望むままに前線を与えたのだ。
 鍵は伯父が持っていた。君の父親のものだよと言っておれに渡した。君が望むなら、君のものだと言った。とても奇妙な笑みを含んでいるように見えたのは、おれの気のせいだったのだろうか。
 大きくとられた窓に寄る。頭部を預けて見下ろすと、白く目を焼く温室が見える。そこにはいつも高松がいる。そこは高松の持ち物で、高松によって改良された、数多のバイオ植物がうごめいている。その緑に包み込まれるように高松はいる。
 珠は、真珠だった。
 黒の真珠。珍しいものではないが、そう需要のあるものでもない。絹のような手触りの、独特の光沢を持つその黒に、何故か思い浮かんだのはこの男だった。
 不思議な男。その手でマジックとルーザーの子を取り替えて、ルーザーの子でないと知りながら、グンマを溺愛してやまなかった男。ルーザーの子であるというだけでおれを許した男。死の瞬間におれたちを思って笑った男。
 触れる指先で濁る石。僅かな傷は擦れば消えた。逆に思える性質は、この珠にとって、矛盾でない。
 あれは拾ってすぐのことだった。珠を手に窓辺に立ったおれを乱暴に引く腕があった。咄嗟に身構えると、掴む力の強さとは裏腹に、酷く動揺した上の叔父の顔があった。それは怯えすら感じる表情で、おれは振り払うことも忘れてその名を呼んだ。それに焦点を合わせた叔父は、震えて切れ切れになった息を吐き出して、たった一言、兄貴かと思った、と呟いた。
 兄貴かと思った。
 おれはどういう意味だと問いただしたい思いに駆られた。兄貴かと思った、叔父にそう言わしめた、根拠は絶対に父に酷似したこの顔ではないのだろう。
 くわえ煙草をぎりりと噛んだ、叔父がなあ、と問いかけた。
 なあ、そこから何が見えるんだ?
 気が付けば消えていた残像と入れ替わるように高松の姿があった。窓に凭れかかり、前方を見据えるように立っているおれを見て、幽霊でも見たかのように名前を呼んだ。おれは戸惑いを含んだその声を遮って、おれの父は真珠が好きだったのかと問いかけた。高松は寝耳に水とばかりに驚いて、それでも、いいえ、と答えた。
 いいえ。
 答えた高松は真珠の眼でおれを見た。おれの持つ青を。一族に特有の秘石の眼、それを見て、あの方が愛したのは、いつでも瞳を映したような、澄んだ青でした、と笑みを浮かべた。おれはやはりこの鈍く光を通さない黒を父のものだと思った。氷の輝きのみを愛した父が、ただひとつ手元に置いた黒。それがどんないびつさを含んでいようとも。
 望めば、おれのものだ。
 見えるものは。
 手にした海の雫をぺきりと砕く。
 おれは父と同じにはならない。
 落ちた黒を靴底で踏みにじれば、白いリノリウムに喰い込んで痣のように残った。


20051204 / 戻る