高松御題/その指先で


 長く黒髪を揺らすこの男のことは、生まれた時から知っている。
「・・・髪がねえぞ、ドクター」
「その人がハゲたかのような物言いは止めてもらえませんか、新総帥」
 呟けば、予想していたとばかりに返される滑らかな反論に、シンタローはぐっと咽喉を詰まらせた。相変わらず人の先を読むのに長けた男だ。それとももうかなりの数の人間に突っ込まれ続けてきた後だったのだろうか。思ってそうかもとシンタローは一人納得した。団内では比較的珍しくない男性の長髪、それでも白衣に映えて長い黒髪は、このガンマ団で士官学校時代を経た団員には、絶対の恐怖と共に目に馴染んだものだったのだから。
「怪我したのは頭じゃねえのに、なんだって切っちまったんだか」
「似合いませんか?」
「質問に質問を重ねんなよ」
 基本だろうが!と激しく突っ込みつつ限界ギリギリまで切り取られた黒髪を目だけで追う。そうすると何故か触れたこともないその感触がよみがえってくるようで、奇妙な既知感に指先が震えた。確かめようにも、もうその髪は失われてしまったというのに。
「・・・ま、スッキリして良かったんじゃねえの?」
 浮かんだ衝動から目を逸らしてシンタローは呟いた。それに笑って高松は「そうですね」と答えた。
「まあスッキリはしましたよ。視界は広いし、目は眩むしで、慣れないことばかりですけど。洗うのも楽なんですよ、ここまで短いと。肩も軽いですしね。―――だから、そんな顔される筋合いはないんですけどね」
 笑いながら言われた言葉に、シンタローは驚いて高松の顔を見た。高松は笑っていたが、それはどこか拗ねた子どもを見るような笑みだった。
 どうしたっていうんです、高松が笑ってシンタローのこめかみから髪を梳く。
「あなた、黒髪は嫌いだったでしょう?」
 私のことも。笑われて、シンタローは目の前の短くなってしまった黒髪の主を見た。
 そうだ。黒髪は嫌いだ。光も通さないほどただ黒く、重いだけの真っ直ぐな髪。憎らしいほどに嫌いだった。黒い髪も、黒い瞳も、黄味を帯びた肌の感触も。おれだけがいつも違うのだと知らしめるこの黒。ミルク色の肌に、きらきらと光を弾く金の髪を揺らし、透き通る青の瞳で生まれてきた弟を、キチガイのように愛したのは、この憎むべき黒と真逆だったからだ。
 そしてこの黒。シンタローは目の前に立つ黒を見た。シンタローはこの黒が嫌いだった。行動や性格を通り越して、ただこの黒がシンタローは嫌いだった。
 黒い髪。黒い瞳。象牙色の肌。卑屈で劣等感に溢れ、それを隠そうともしない男。得られないものばかり欲しがる男。おれの嫌いなものばかり集めたような男。
 シンタローは押さえた拳を開いて指を伸ばした。指の腹で擦るのがやっとの黒い髪。それをゆっくりと擦った。何度も掬い直しては。
 生まれた時から知っている。その奇妙さを飲み込んでシンタローは思った。
 生まれた時から知っている。
 この黒を。この男を。何よりも嫌い、誰よりも嫌った。そして救われてもいた。おれより黒いその黒に。おれより歪んだ、この男に。
「・・・伸ばせば? 髪」
 シンタローは言った。
「おれはおまえが思うほど、この黒を嫌ってはいないんだ」


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