日記ログ


 すっかり風通しの良くなった研究室、割れて煤けたカップを拾い集めながら、ジャンはハーレムの変わった癖を思い出した。カップを置くとき、口を指で拭うのだ。まるで口紅を拭うように。一回見せただけの些細な癖、それが記憶に残っているのは、かつて同じ癖を持っていた人間を知っているからだ。
 気が付いたのは、つるみ始めて三ヶ月目のことだった。指摘された本人は、顔を顰めて癖なんですよ、とだけ答えた。その隣で意味深長に笑っていたのは美貌の人だ。高松は子どもの頃から研究に関わっていたときくから、その頃ついた癖なのかもしれない。それならサービスが意味ありげに笑うのもわかる気がする。サービスは三人の兄の、次兄をとても慕っていたからだ。ならば兄の側で目にしていた可能性が高い。
 だが、件の兄にそのような癖があったろうか?
 いや、ない。サービスにもない。ではあれは研究所でついた、高松独自の癖ということだ。かの兄が咎めないでついた癖。考えると苦々しげな高松の様子も、浮かぶサービスの笑みもわかる気がする。
 けれど、すると、それが――。
 そこまで行き着いて、ジャンはひっそりと笑みを浮かべた。
 なんだ。誰に感じさせるより、長く、深く、想っていたんじゃないか。
 あの癖は今の高松には残っていない。指摘されて数日、高松は綺麗に消してみせた。今ではそんな癖があったことなど、街中のカフェでも思い出さない。
 本当に言葉が足りない。いやむしろ足りないのは態度かな。
 ジャンは拾ったカップの欠片から口の部分だけを選り出した。夜に近づく天に翳す。煤を拭えばきらりと光る。まるで化石だ。想いの化石。
 手のひらにおさめると、少し笑って、ジャンは歩き出した。
 おれだってね、化石になるほどの想いは、持っているんだ。


20070107 / 戻る